これだ!<英雄たちの選択 「“幕末の奇跡”山田方谷 ~天空の城を死守せよ~」>
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Yamada_Hokoku_portrait.jpg
いつも、楽しみに見ているのだけれど、今回のは特によかったです。
山田方谷さんは、わたし不勉強で(東北の人間はなかなか知っている人少ないんじゃないかな……と言い訳)、昨年初めて知りました。 新潟県長岡市へ、用事があって立ち寄った際に、河井継之助さんの記念館に行ったのですが、そこで、山田方谷さんの名前を聞きました。つまり、河井継之助さんはある時期、山田方谷さんから学んでいるのです。 その後、河井継之助さんを主人公に描いた司馬遼太郎さんの峠を読みました。そこでも、それなりの紙面を使って山田方谷さんの話を書いていました。このときは、いずれも、山田方谷さんを対岸から見た形で、幕末近くに藩政改革をした方くらいだったのですが……。 いやぁ、すごいですね。
山田方谷さんを書いた本で、いい本があったら読んでみたいです。 以下、記憶に残しておきたいと思ったメモ(正確に書いたか自信がありません。メモの責任は阿部にあります)
市民撫育
今の言葉で言えば、福祉。
財政が悪くなっているから、財産再建方といったのではなく、福祉方(撫育方)と言ったのです。
国民が元気で、生産が高まれば税が取れるようになるから改革は成功。
普通だと民の儲かっている分野に課税をして取っていくという考え方をしがちだが、そうではなく、民が儲かっている状態にしていく、稼げるような状態にしてから税をもらおうとしている。
本末転倒していない。
国民が安心して働けるように、保育所を整理してあげようとしてから、しっかり働いてもらって生産性をあげてから税をもらおうという考え。
当時の松山藩は今の日本そっくり。
大胆な改革。
大胆って落とし穴。抽象的。
大胆な改革をするためには現状を全て破壊する。
日本人は壊すのが得意ではない。現状を維持しながら進めようとする。
日本人は改革というと無いものを持ってこようとする。
シリコンバレーを作ろうとする。
今この町にあるものはなんだ。
成長戦略につながるが、今の政府は無いものを持ってこようとする。
このあたり、今の日本がそうですし、身の回りでもヒシヒシと感じること大ですが、東日本大震災当時の自分の感覚もそうでした。だからといって、何もできていない自分が悲しいところでもありますが。
わたしは、実は、東日本大震災が起きたとき、人命を含め、大きな損失がありましたが、これに関してはどう振り返っても戻ってこなくて、悲しくて悲しくて仕方ないわけですけど、もうどうにもこうにもできないくらい社会システム(特に学校システム)が麻痺してしまったために、実は、古いものを乗り越える、古いものを壊す、古いものを忘れる、チャンスだと思っていました。
しかし、みなさんが(結局、わたしもその中の一員だったということですが)やったことは、震災前の状態に戻す(これは、建物など目に見えるものだけでなく、社会や学校のシステムなどの目に見えにくい運用の部分も含めて)ということでした。
目の前のものが「壊れて」なくなりそう……というとき、「新しいもの」を創るではなく、「古いもの」それは素晴らしかったものだから(と錯覚して)、その古いものを取りもどそう!という感覚に強く揺さぶられるのだなと思いました。
この、いつもながら、既存の体質にメスを入れる、主人公の吉良良助さんを中心とした学校関係者は、震災をきっかけにして様々なものを「復旧」ではなく「復興」という形で乗り越えていきます。前田先生の地震と絡み合わせたストーリーもさることながら、当時、熊本市内の教頭先生だったという前田先生の実話も相当入っているのでしょう。
そういう意味では、(もともと、そうだったと思いますが)何もできなかった私と、素敵に学校改善、改革を進めた前田先生との差が歴然としていると感じました。
今、生きる自分、ここで何をしていくかだね。
NHKのホームページより
松山藩重臣山田方谷は、幕末、奇跡の藩政改革を行い、窮地に陥っていた藩の財政をみごとに立て直した。その評判もあって、松山藩主板倉勝静は、幕末の老中にまで上りつめた。その結果、戊辰(ぼしん)戦争のさなか、新政府軍から、城の明け渡しをもとめられることになった。開城か抗戦か?山田方谷に選択が迫られた。「藩主の意向に従いあくまで抗戦するのか」「民のために、無血開城に踏み切るのか」山田方谷の究極の決断に迫る。